Limey and Long good bye / ライミーとロンググッドバイ・・・あるいはギムレットの覚書

【ライミーとロイヤルネービー】

米国人に対するヤンキーという俗称と同様、「ライミー」という英国人をもじる用語は、アメリカ、南アフリカ、オーストラリアに到着する英国移民の俗称として使用された。

そのルーツは、イギリス海軍が長い航海における病の回避のためライムジュースを使用したことに由来している。

大航海時代、人類が初めて大西洋、インド洋、太平洋を横断した時、これらの航海のすべてに共通していた問題は長い期間、海の上で過ごさなければならないということであった。

3カ月を超えることもあったであろう。その間、乗組員たちは積み込まれた保存食だけを食べていたのである。

こうした保存食(つまりフレッシュではない)にはビタミンが欠乏していたため、あらゆる栄養障害を起こした。

ビタミンB1の不足は脚気を、ビタミンB3不足はペラグラ(ナイアシン欠乏症)を、そしてビタミンC不足は壊血病を引き起こした。

日本でも脚気は江戸時代を通して原因不明の国民病であった。

これは精米した白米を好んで食べていたこと、また副食物が貧弱だったことが原因として研究発表される1911年、鈴木梅太郎によるビタミンB1の発見まで待たれることとなった。

一方、英国海軍において最もひどい症状が現れたのが、壊血病であった。

英国海軍では全体に蔓延していた病気で、この時代に壊血病によって命を落とした船乗りの数は、米国の南北戦争で死んだ兵士の3倍以上に及んだという。

ビタミン不足に起因する病は、壊血病の他にも脚気など他の病気を併発することも多く、脚に大量の水が溜まったという乗組員たちは脚気の症状であったし、脚気やペラグラは、どちらも精神的不安や性格の変化を引き起こした。

当時の航海日誌を読むと、人々がおかしな行動を取っていた様子が記録されている。

たとえば軍艦エンデバーのジェームズ・クック船長は、壊血病の予防に尽力してはいたが、元海軍軍医のジェームス・ワット卿に言わせると、ハワイ島でクックが最後を迎える頃にはペラグラにかかっていたため精神的異常をきたしていたのではないか?、との見解を示していた。

その壊血病は不潔で不快な病とされ、人々からひどく敬遠されていた。

実際、患者の体は強い異臭を放っていたが、彼らはそれを自ら認めようととはせず、たとえば長編小説『白鯨』の著者ハーマン・メルビルは、捕鯨船時代の回顧録の中で壊血病という言葉を使わず、単に「病気」と呼んでいる。

やがて1753年、当時海軍に勤めていたDr. ジェームズ リンドは、柑橘系の果物を食べると壊血病に冒された人々が治癒することを世界初の臨床試験で発見し、著書『Treatise of the Scurvy(壊血病論)』に綴った。

ところが英国海軍の腰は重く、ようやく40年以上経た1795年になって、船員がレモンジュースの配給を受けることが通常の慣行になった。

当初はヨーロッパ産のレモンジュースを配給のグロッグ(水で薄めたラム酒)に入れていたが、後に安価なこと、そして愛国心も相まって英国のプランテーションで栽培された西インド・ライムに切り替えられた。

このことが19世紀初頭にイギリス以外の船員から「limeys=ライム野郎」と俗称されることの理由となったのである。

一方、ビタミンの研究が進むと、ライムはレモンよりもアスコルビン酸が約40%少なく、ビタミンCは時間の経過とともにその効力を失うことがわかってきた。

英国海軍に供給されたライムジュースは、しばしば新鮮な空気にさらされたままであり、瓶詰めプロセスで使用された銅製の容器と組み合わせると、乗船するまでにビタミンCはほとんど残っていなかったのだ。

ただイギリス人にとって幸運なことに、その頃は蒸気機関の導入により海上旅行に費やす時間が短縮されたため、後の極地探検の幕開けまでその間違いは気づかないまま、見過ごされていった。

一方、初期の極地探検家にとって不幸なことは、ライムジュースにビタミンCが不足しているため壊血病が復活し、その原因についての誤解の新たな波が発生したことであった。

壊血病の主な治療因子としてビタミンCが明確に特定されたのは1932年になってのことだった。

最近の研究において生鮮食品の食事が壊血病と戦うのに十分であることが示されており、ライムジュースに対するロイヤルネービーの意識変化とともに、「ライミー」という用語は時代遅れになってしまった。

British sailors around a “Grog Tub” into which lime juice would be added. Note the inscription “The King God Bless Him”.

[1]

1867年、リースの船舶装備会社であったでLauchlan Rose=ラフラン・ローズ(1829–1885)は、アルコールなしで柑橘類のジュースを保存する方法の特許を取得した。

同じ年に、英国商船法は壊血病を防ぐためにすべての船員にライムジュースを毎日配給することを定めた。

L Rose&Coのライムジュースとライムコーディアルは、壊血病対策を目的とした飲料の調達経費の削減にあたって英国海軍軍や商船がこぞって採用した。

このことでローズのライムコーディアルの評判があがり、一般家庭でも料理用としてレモン=安価なライムが浸透しだした。

やがてこのライムジュースはカクテルに使われることになる。

フレッシュなライムは手に入りにくく高価であったため、ライムジュースはある意味では画期的な割り材であった。

とくにジンベースの「ギムレット」には、ローズ社のライムジュースと言われた。

【チャンドラーとロンググッドバイとギムレット】

1953年、レイモンド・チャンドラー作「ロンググッドバイ」の中で、探偵のフィリップ・マーロウと不思議なアルコール依存症のテリー・レノックスが出会うシーンは以下の様に書かれている。

「我々は、ヴィクターズのバーの隅に腰掛けて、ギムレットを飲んだ。「こっちには本当のギムレットの作り方を知っている人間はいない」と彼は言った。

ライムかレモンのジュースとジンを混ぜて、そこに砂糖をちょいと加えてビターをたらせば、ギムレットが出来ると思っている。

本当のギムレットというのは、ジンを半分とローズ社ののライム・ジュースを半分混ぜるんだ。それだけ。

こいつを飲むとマティーニなんて味気なく思える。」

(レイモンドチャンドラー著・村上春樹訳・早川書房)

チャンドラーの描く男たちは、本物の男としての価値観、道徳の試金石をバーという神聖な場所で語るのが通過儀礼であるかのように描かれる。

つまり好奇心が強く、ほとんど神秘的な兄弟の絆で結ばれたような男達は本能的にお互いを理解し、彼らが出会うと彼らの絆は即座に疑う余地もなく、真剣な酒場での秘跡で封印されるのだ。

チャンドラーについて最も魅力的なのは、彼の特徴的な口調である。それは、困惑した中立的な観察者の口調である。

探偵であるフィリップ・マーロウは詩人であると同時に、マーダーコミックの視点でもあり、そしてなおかつ文章は正確な比喩、格言、賢明な表現に富んでいる。

マーロウ以外の誰が、不誠実な女のクライアントが、「お気に入りの子猫を溺れさせているかのように、非常にゆっくり、非常に悲しいことに」情けない雇われ人を机の上の請求書で押しのけているかしらない。

マーロウ以外の誰が、彼女の声が「病人がベッドから出るように喉から引きずり出された」、あるいは「疑惑が子猫のように顔全体に広がったが、それほど遊び心がない」と、ふわふわした中年の女性を観察するだろうか?

ノワールの伝統、または決まり文句で言うなら、女達がセクシャルな生き物であるならばその女は悪でしかあり得ず、彼女らがセクシャルな存在でないならば、男たちは存在する価値も無い。

チャンドラーの書く散文は、自意識を遙かに凌駕して雄弁さの高みまで達し、彼は単なるアクションテラーではなく、確たるビジョンを持った作家として、確立した作家としての存在であることに衝撃をもって気づく。 

「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている。(略)しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル――何ものにも代えがたい」

フィリップ・マーロウの前に死んだはずの友人、テリー・レノックスが姿を変えて現れ、素顔をあかす瞬間はこう訳されている。

彼は手を伸ばして、サングラスを外した。瞳の色を変えることまではできない。

『ギムレットを飲むには少し早すぎるね』と彼は言った」(村上春樹訳)

イギリス人はアメリカ人のようにいつも握手するわけではなく、[テリー・レノックス]はイギリス人ではないが…..、

理想的なアメリカ人=白人男性のプロフィールは、彼の著作の中で読み解いてみると、イギリス人=白人男性のプロフィールであることがわかる。

庶民の探偵、フィリップ・マーロウは、本当は恐ろしくスノッブであるということだろうか?

ミソジニー、人種差別主義者、同性愛嫌悪、反ユダヤ主義の何か?

不思議なことに、それでも真の不安定なチャンドレスクスタイルで、知性、視点、さらには深さの尺度を獲得して、キャラクターに生命を吹き込んでいる。

(Ref. “The simple Art of Murder” -J. Carol Oates)

「すべての分野において、最良のものは、それぞれの固有の領域を超える」とゲーテは述べているが、まさにそのとおりだ。